母をフェラーリに乗せようと思った理由
フェラーリを所有してから、ひとりでのドライブを重ねるうちに、ふと「母を乗せてみたい」と思うようになりました。特別なきっかけがあったわけではありません。ただ、いつかこの助手席に誰かを乗せるとしたら、最初は母がいいと感じたのです。
母はこれまで高級車に乗った経験がなく、フェラーリに対しても「落ち着かない」「自分には縁がない」といった印象を持っていたようでした。それでも、何気なく「乗ってみない?」と声をかけてみると、「そんな機会ないしね」と意外にもすんなり返事が返ってきました。
当日は、少しよそ行きの服装で現れた母の姿が印象的でした。普段は動きやすさ重視の服が多いのですが、この日はフェラーリに合わせて気を遣ってくれたようです。ドアを開ける動作も慎重で、車高の低さに驚きながらも、楽しみにしている様子が見て取れました。
親子で過ごすフェラーリの時間
運転席から見る景色はいつもと変わらないはずなのに、助手席に母が座っているだけで、どこか新鮮に感じられました。エンジンをかけると、あの独特のサウンドに母が少し目を見張ります。「これがフェラーリの音なのね」と、静かにつぶやいていました。
走り出してしばらくは、街の風景を黙って眺めていましたが、次第に母の口からいろいろな言葉がこぼれ出しました。「昔、○○に行ったときもこんな道を通ったね」「このあたり、だいぶ変わったわね」など、昔話を交えながら会話が続いていきました。
途中、郊外の広い道路に出てアクセルを軽く踏み込むと、母は少し緊張したような顔を見せながらも、「スムーズね。もっと振動がくるかと思った」と感心していました。乗り心地や視界、エンジン音の違いなど、これまで乗ってきた車との違いに驚く場面も多かったようです。
私自身も、母とこうして車内でゆっくり会話するのは久しぶりで、どこに出かけるわけでもないドライブが、非常に豊かな時間に感じられました。
助手席から聞こえた、忘れられない言葉
帰り道の信号待ちで、母がふとつぶやいた言葉が心に残っています。
「いい車に乗るって、たしかに特別だけど、それ以上に誰と乗るかって大事よね」
そのひとことは、車というモノの価値だけでは測れない時間の過ごし方の本質を教えてくれるものでした。母にとってフェラーリは遠い存在だったかもしれませんが、一緒に時間を過ごす中で、少しだけ身近に感じてもらえたようにも思います。
自宅に到着すると、母は「今日はいい体験だった」と静かに言い、ゆっくりと車を降りました。ドアを閉める音がいつもより丁寧に聞こえたのは、気のせいではなかったかもしれません。
フェラーリに乗るという行為が、単なる移動手段ではなく、大切な人との時間をつくるきっかけにもなることを感じさせられた一日でした。今度は、父も誘ってみようかと考えています。